私の父、佐藤武揚について

09/14/2021, 01:39 PM

私の父、佐藤武揚は2021年9月6日の朝、81歳でこの世を去った。
老衰とのことだったが、アルツハイマー、膀胱がん、脳梗塞、認知症を併発し、最終的には誤嚥性肺炎を患っていた。

9月12日の葬儀では、お寺さんから「揚行」の法名(戒名)をいただいた。
「言葉よりも行動で示し、まわりの人を良い方向に導いた」と。
父にぴったりな法名だと思った。どんな父だったかを書き残しておこうと思った。

父は姉が生まれる半年前の29歳で神田外語学院に入社してから71歳まで42年間勤めた。
持前の行動力とコミュケーション能力は、まず学生募集や広報の仕事で生かされたようだ。

41歳から2年間は、アメリカの大学で教育学を学んだ。
そこで学んだ知識を生かし、帰国後は神田外語大学や文部科学省の仕事にも関わるようになり、外国語/日本語の学校教育のカリキュラム充実や振興につとめた。

 

仕事熱心でしたが、家族思いで大きな愛情を注いでくれた。
早く帰れる日には、必ず何かお土産(食べ物)を買ってきた。休日は山や川に、夏休みは旅行に連れ出した。
私の中学受験では、過去問題に目を通し抜粋したところが見事に的中した。
1998年のヒーローガレージ起業の際には、企業理念の文章が多くの人に印象良く受け入れられるようにと何度も校正してくれた。企業理念の冒頭の部分は父がしてくれた校正のまま現在も使用している。

やがて姉と私は結婚し、姉には二人、私には一人、子供ができましたが、その孫に対しても深い愛情を注いでくれた。実家へ遊びに行くと、いつもニコニコ笑顔で迎えてくれる温厚な父のことを孫たちは大好きだった。旅行にも何度か連れて行ってくれた。

孫の大学卒業までの教育費用はすべて出すと言って、絶対に譲らなかった。
それは大分県の山奥(玖珠郡九重町)で11人兄弟の10番目に生まれ、高校卒業後に東京に出てきたが資金がなく、入学が遅れ、卒業が25歳になってしまったことによるものだ。子や孫には、教育にかかるお金で苦労させたくないという強い思いがあったのだ。

姉の長男は、今年大学を卒業し希望する企業に就職できたが、それは父の資金援助のおかげと葬式で目に涙を浮かべ感謝していた。
孫たちが無事に育つのを見届け、家族みんなから愛された父は幸せだったと思う。

 

「組織と世の中のために働き、家族を思う」
を行動に表した父。

これからも父のことを思い出しては、自分自身を省みることだろう。


小4の夏休み、留学先のアメリカ・デンバーまで会いに行きました。

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