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起業のきっかけ

会社員時代(1994年4月~1998年9月)

2年目に初めて「制作」の仕事に触れる

就職活動前に同級生に呼ばれて西麻布交差点近くの高級焼肉店に行ったら、のちに銀行の常務取締役、製紙会社の社長になる同級生のお父さんがいた。これから社会人になる上でのいろいろなアドバイスをいただいたが、「君のアイデアやキャラクターは好きだが、銀行員には向かないよ」と断言されたのが一番ありがたく心強いアドバイスだった。
就職活動をしていくうちに、自分は商社業界で「営業」を極めよう、まず営業を学ぶなら総合商社でも財閥系ではなく、独立系最大手で大阪商人色強い阪和興業かなと思い入社を決めた。

配属は本業の鉄系ではなく、ITでもマルチメディアという本業から一番遠く離れた部署で子会社に出向となったが、営業するなら、全く阪和興業の看板が通用しない業界でゼロからの方がやりがいがあるし、本社勤務の同期よりも早く活躍できそうとプラスにとらえていた。

一年目は先輩から大企業向けのパソコン販売を引き継いだ。どんな小さなことでも顧客からの問いかけに対して全力で応えていくことで、信頼を得ていった。パソコンの販売台数が増えるにつれて、問い合わせが増え不具合対応などもあり、次第に身動きがとれなくなってしまった。

2年目に先輩が通信カラオケのテロップ制作という案件を見つけてきてくれ、初めて「制作」の仕事に触れた。私も会社も全くの素人だったので最初は試行錯誤だったが、次第にわかってきたことは、制作で大事なのは「営業力」ではなく「品質」と「納期」の管理であり、マニュアルワークフローを作り徹底していくことであった。その時期の通信カラオケ業界は曲数勝負みたいなところがあったので、十分な品質で大量に作れる制作会社にはいくらでも仕事の発注が来たのだ。

3年目の1997年にはテロップ制作のために、アルバイトスタッフを少しずつ増やしながら教育していき、社内に安定した品質で量産できる体制ができた。

お付き合いしていたカラオケメーカー3社から、テロップ制作だけでなくカラオケの映像・音楽の制作、フィリピン曲の選曲、低価格のカラオケ機器開発、オフィス内の音響スタジオ施工、普及をはじめたインターネットのソフトウェアの開発やコンテンツ制作の仕事の依頼も来るようになった。この時も「顧客からの問いかけには何事にも全力で応える」をモットーにしていたので、めまぐるしく動き回る毎日でした。この時期は、ほぼ毎日が終電で深夜帰宅だったが朝は8時30分には出社していた。

ある会社は、外部発注する殆ど全ての案件を任せていただいたので、月の売上が1億円を超えることもあるほどだった。この時期は同時にいくつもの案件を進行させていく必要があったので、プロジェクトマネジメントの技術が身についていった

阪和興業から先輩と一緒に社長賞をもらったのはうれしかったが、案件が増えていくにつれ、自分のなかでクリエイティブの割合が減っていくのを少し不満に感じるようになっていた。効率性・生産性重視になってしまい、制作物に新たなアイデアを盛り込んだりクオリティを追求できない不満と、新しい案件に対してクリエイティブな発想で推進できない不満だ。

その頃から、人と話したり書籍や雑誌を読んで湧いてきた事業企画やアイデアをメモに残しておくようになった。100個溜まったら1個くらいは、自分で独立起業するかどうかは別として、新しい会社ができるくらい良いプランがあるかもと漠然と考えていたのだ。

1998年10月、起業

まずは毎日3人のクリエイターと知り合いになることから

ちょうどその頃読んでいた沢木耕太郎氏の旅小説『深夜特急』の「ワレ到着セズ」の結末と、「・・・迷わず行けよ 行けばわかるさ」の猪木氏の言葉に背中を押され、「人生一度は独立して自分で商売をやってみたいし、失敗するなら若いうちに!」と心に決め、入社から4年半が経過した、27歳の1998年9月に退職した。ちなみに自分でメモしていた事業企画やアイデアはまだ30個くらいで、コレッというものは1つもなかった。

まずは情報収集のため、サラリーマン時代には忙しくて行けなかった著名人の講演会や数多くの展示会・セミナーに足を運んだ。また優秀なビジネスパートナーと提携するため、毎日3人のクリエイターと知り合いになることをノルマにした。 クリエイター同士をつなげるために始めた異業種交流会「ECP(縁の下の力持ちプロジェクト)」は、参加者が100名を超すこともあるほどの人気交流会となり雑誌・書籍などで取り上げられた。 一つのことを一途にやり続けているフリーランスのクリエイターの方たちと交流するうちに、自分も新たな商売に手を出すより、今まで関わってきた仕事のなかで、制作の「ディレクション」でプロフェッショナルになろうと強く思うようになった。

1999年3月頃から友人や知人の紹介のおかげもあって少しずつ仕事を受注できるようになり、最初は実家の一室を仕事場にしていたが、1999年10月に事務所を江古田(練馬区小竹町)に開設した。自分の売りは、レスポンスのスピード、小回り、24時間稼動できる若さであると確信し、8畳ほどの事務所に寝袋で寝泊りしながら仕事に没頭した。この頃のメイン業務は、ソネット、スターツ出版、三越など大手企業のPC・モバイルのWEBサイトやコンテンツのディレクションと企画だ。


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