PEOPLE インタビュー

立原えりか

空想世界への入り口は日常にある

取材日:2004/07/16

●●● 小学生・中学生・高校生時代

立原さんは象がお好きですよね?それはタイに行かれるようになってからですか?

『かわいそうな象』っていうお話があるでしょ、太平洋戦争のころの。
私、生まれが谷中で、上野動物園はすぐ近くだったんです。夜、パオーンっていう象の鳴き声も聞こえてきました。そんな環境だったから、あのお話はすごく印象に残りました。そんなことがあったんだ……って。それからですね、象を意識しだしたのは。
谷中にいたのは、小学校の3年生くらいまでで。あの辺りも空襲に遭いましたから。

小さいころから本は読まれてたんですか?

読書は好きでした。父の影響でしょうね。父は、新刊が出るとすぐに買ってくる人でしたから。本にはとても興味を抱く子供でした。
でも、書くことはさほど好きじゃありませんでした。作文とか、つまらなくて嫌だった。だって、作文って、ウソを書けないんですもん。小学生の周りで起こることって、たいしたことないんですよ。だから、それをそのまま書いてもおもしろくない。
夏休みの宿題で、絵日記って必ず出されたんですけど、休みが始まった最初の日に、全部書いちゃった(笑)。前の年の日記を見ながら、適当に。どうせ大冒険なんか起こらないし、あんまり変わり映えしないことを毎日毎日書くのなんて、嫌でしたから。

読書好きの、物静かな少女だったんでしょうか?

一応、まじめな子だったとは思いますよ。宿題もちゃんとやって……絵日記は適当でしたけど(笑)。
スポーツとは縁がなかったですね。1年生のときの運動会のかけっこで、1番にゴールテープを切ったことがあるんですけど……。
足は速かった?
そうじゃなくて、みんなと逆回りに走っちゃったんです。「よーい、ドン!」で鳴らすピストルの音に驚いて、一瞬パニックになっちゃったんでしょうね。母から「もう二度とあんたの運動会は見に行かない」って言われました。
お母さんも恥ずかしかったんでしょうね(笑)。

中学・高校生のころには、なにかに打ち込まれていましたか?

アンデルセンの研究をしてました。『人魚姫』に魅せられて。中学・高校生のころですから「こんな恋ができたらいいな」なんて、憧れちゃうんですよ。まあ、「研究」と言っても、本を読むしかないんですけどね。英文の本も、辞書を片手にがんばって読んだりしました。
アンデルセン以外にも「童話」という文字があったら、なんでも読みました。そのころから「童話を書きたい」という思いはあったんです。「書くためには、まず読まなくちゃ」ということで。娯楽でもあったんですけど。

書き始めたのは、いつごろからですか?

19歳のころ。当時、童話を投稿できるコーナーがある雑誌があって、そこに毎月、投稿しました。やっぱり、お話を書いたら、誰かに読んでもらいたい。投稿はうってつけの方法でした。選者の先生方も有名な方ばかりで、読んでもらえるのが嬉しかった。
そのコーナーの常連になると、「勉強会をしませんか」なんて編集の方が声をかけてくれました。書いている人同士意見の交換もできたし、選者の先生のお話も聴けて、すごくためになりました。

●●● 「先生」になってみて

今では立原さんが、いくつかの賞で審査員をなさってますね。また、カルチャー・スクールの講座を持ったり、通信講座も持たれてます。そうした場で、作家を目指している人たちの作品を読んで、受けるものはありますか?

やっぱりみんな、いろいろなアイディアを持ってきますから。ほんの小さなアイディアでも、みんなで話し合っていくうちにグッと広がりを見せたりして。先生とか生徒とかの区別なく、楽しんでいます。

教室にはいろいろな人が集まるから、おもしろいです。作家になりたい人もいるし、趣味で来ている人もいる。
前に帽子学校の先生が来ていたことがあって、その人は課題を出しても、ちっとも書いてこないんです。ほかの受講生の作品を読んだり聞いたりすることによって、帽子作りのインスピレーションが湧いてくるんですって。 審査員やっていると、たいへんなこともあります。原稿のつまったダンボール箱がいくつも送られてくると、やっぱりげんなりしますね。全部おもしろい作品なら楽しいけど、そうはいかない。

最近はパソコンで打った原稿も増えたけど、手書きだと判読不明の場合もあって、読むのに時間かかります。でも、子供の原稿は手書きのほうがいいです。読むのはたいへんだけど、その子が見えてくるような気がしますから。

立原さんの作品は教科書にも載っていますから、「あのお話を書いた先生に読んでもらえる」と思って応募する子もいるかもしれませんね。

どうでしょうね? 
教科書と言えば、娘が小学校に通っていたときに、こんなことがありました。学校の先生が「この子のお母さんが、この作品を書いたんですよ。お話を聞いてみるのも勉強になるかもしれませんね」というようなことを、うっかり言っちゃったんです。それからしばらく、塀越しにうちをのぞいている小学生の姿がありました。
中には呼び鈴を押して「教科書に載って、いくらもらったの?」なんて、ストレートな質問をする子もいました。教科書って、全国の小学生が読むから、きっとものすごくもらったんだろうって思っているみたい。私が正直に答えると、拍子抜けしたような顔をしてましたね(笑)。

それは珍事件でしたね。お仕事のほうで、変わったことをされたことは?

そうですね……もう20年くらい前ですけど、NHKの道徳番組用の人形劇を書いたことがあります。3、4年生向きの15分番組です。2年の契約で受けた仕事だったんですけど、更新、更新で、結局15年やりました。けっこうおもしろかった。
道徳の授業で観るような人形劇ですか。例えば「ブタくんが、クラスのみんなで使っているボールをなくしてしまったけど、どうしましょう?」みたいなストーリーですか?
そんな感じですね。これが月に2本。1本につき、原稿用紙12~13枚くらいのストーリーです。登場する人形は決ってるから、気軽に新キャラクターを出したりはできないし、いろいろな制約はありましたけど、そういう中で書くのもおもしろかった。撮影現場も、たまに見学しに行ったりして。

●●● オリジナル作品とリライト作品

ストーリーゲートの作品は、オリジナルのものと、リライトのものがありますが、書くときに違いはありますか?

リライトの原則は、もとのお話のストーリーと登場人物を変えないこと。では、もとのお話となにが変わってくるのかと言うと、書き手の個性が出てくること。もとのお話を読み込んで、どこにスポットを当てるのか、どこを削って、なにを書き加えるのかという作業に、個性を込めていきます。
例えば原文で「欲張りなおじいさん」としか書かれていなかったとしたら、どんなふうに欲張りだったのかを考える。細かく思い描くことによって、書き手の個性がにじみ出てきます。
小さなエピソードを挟んだりするのも楽しい。今度ストーリーゲートで公開される『一寸法師』では、一寸法師がラブレターを書いたけど小さすぎて見えなかった、なんてエピソードを加えました。そういう作業って、すごく楽しい。オリジナルの作品を書くときとは違う楽しさがあります。

オリジナルの作品を書かれるときには、日常の生活にヒントがあるんですか?

私は完全に空中に浮かんだ状態では、お話はかけません。どこか日常と接点がないと。でも、接点がありさえすれば、空想の世界に滑り込むことができます。
今、フラダンスを習っているんですが、今度愛育社から出る『一度でいいから・・・・ハワイ』も、フラが関わっています。60歳越してる女の人たちが、一度でいいからハワイで踊りたいってがんばるお話。ただ踊るんじゃなくて、日本国内で優勝したらハワイで踊れるっていう大会があるという設定でね。7月20日ごろ出版の予定です。
でも私、じつはフラが大好きってわけでもないんです(笑)。そういうことでも習わないと、ちっとも運動しないから。フラは、体にいいそうですよ。

ストーリーゲートでもオーディションをやっているので、「童話を書きたい」と思っている方が、けっこう観てくれているようです。そういう方たちに、なにかアドヴァイスをお願いします。

まず、たくさん読んで欲しいですね。たくさん読むことによって、基礎ができていくと思います。
それと、リライトをしてみるっていうのも、勉強になります。長いお話を短くしたり、短いお話を長くしたり。そこに自分の個性をどうやったら込められるかを考えることは、オリジナルの作品を書く上でも活きてきます。
楽しんで、がんばってください。

立原えりか(たちはら えりか)Erika Tachihara

東京生まれ、童話作家。 「人魚のくつ」でデビュー以来、自分流のファンタジーを書きつづけている。代表作「木馬がのった白い船」、「まどろみの夢から夢へ」「うたってよ、わたしのために」ほか。最新作は「天女のあかり」「天人の橋」など。 広島アンデルセン、池袋西武コミュニティカレッジ他で童話創作の講師、通信教育による「立原えりかの童話塾」の塾長。童話創作の機関誌「ヒースランド」編集長などをつとめている。


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